大判例

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札幌地方裁判所 昭和44年(ワ)1443号 判決

原告 窪田久昭

被告 国

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(当事者の申立)

一、原告

1  被告は原告に対し金一三万〇、九五〇円およびこれに対する昭和四四年一月二七日より完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

二、被告

主文同旨の判決並びに仮執行免脱宣言を求めた。

(当事者の主張)

一、請求原因

(一)  1 原告は昭和三七年四月一日郵政省の職員となり、札幌中央郵便局に郵便集配人として勤務していた。

2 原告は昭和四四年一月二五日札幌中央郵便局長に対し辞職願を提出した。

3 右辞職願の提出は雇傭契約解約の意思表示であるから、原告と被告との雇傭契約は、右意思表示の翌日である同四四年一月二六日解約された。

仮に右一月二六日に解約の効果を生じなかつたとしても、民法六二七条一項後段により、解約申入の二週間後である同年二月八日には雇傭契約は終了した。

4 従つて原告は被告に対し、国家公務員等退職手当法に基づき退職手当請求権を有するに至つたが、原告の勤続年数は六年一〇月、この場合の退職手当支給率は四・五か月、退職時の俸給は外務職三級九号で二万九、一〇〇円であるから、退職手当の額は金一三万〇、九五〇円となる。

(二)  1 仮に公務員の勤務関係が公法上の法律関係であり私法規定の適用がないとしても、この法律関係は当該公務員の同意を基礎として成立するものであるから、公務員が勤務関係から離脱する意思表示をした場合には、その公務員の勤務関係は当然に終了し、その公務員の公務員たる身分も消滅すると解すべきである。退職の意思表示をした公務員も任命権者の承認あるまでは公務員たる身分を失わないとして勤務関係離脱の自由を認めないのは職業選択の自由を定めた憲法二二条に違反するし、また公務員として政治活動や労働基本権の制限を受けたまゝの状態を強いられる点では憲法二一条・二八条に、さらに一方的に身分的隷属関係を強制する点では憲法一八条および労働基準法五条にも違反する。

2 よつて原告は前記退職の意思表示により退職したものと解すべきである。

(三)  仮に以上の主張が認められないとしても、次の理由によつて原告は退職手当請求権を有する。

1 原告は昭和四三年九月二九日午後一〇時頃、飲酒して自家用車を運転中、札幌市内で歩行者との接触事故を起こし、被害者は同年一〇月一八日死亡したので、同年一〇月三一日道路交通法違反・業務上過失致死罪により札幌地方裁判所に起訴され、同四四年一月三〇日同裁判所において懲役一年の実刑判決を受け、右判決は同年二月一四日確定したが、この間原告の提出した前記辞職願は承認されなかつた。そこで原告は、国家公務員法七六条・三八条二号により右判決確定の日に失職した。

2 国家公務員等退職手当法八条一項二号は、国家公務員法七六条により失職した者又はこれに準ずる退職をした者に対しては退職手当を支給しない旨を規定している。

ところで、退職手当は、封建時代の暖簾分けに萠芽を有するものであつて、戦前においては労働者を資本に物質的精神的に従属させ、忠誠心と企業意識をうえつけるために、功労報償的な給付として運用されてきたが、個人の尊重と身分による差別を禁ずる現憲法の下では功労報償的な性格のものとしてとらえる余地はなく、昭和三四年に制定施行された中小企業退職金共済法によつて多くの事業所で退職金制度がとられていること、退職金が民間企業で労使協定事項とされていること、我国特有の低賃金や社会保障制度の不備等を考慮すると、それはむしろ賃金の後払いの性格、即ち賃金が労働力の対価以下に支払われ、当然賃金として支払われるべきものの一部を未払のまゝにしておいて、退職時にこれを一括して支給するものと考えられるから、退職理由の如何を問わず当然支払われるべき性質のものである。

したがつて前記国家公務員等退職手当法八条一項二号は、国家公務員法七六条に該当する失職者等と任意退職者を不当に差別するものとして憲法一四条・労働基準法三条に違反し、また個人の尊重を規定した憲法一三条に違反し、さらに労働者の生活権を侵害するものであるから憲法二五条にも違反する無効の規定である。

3 よつて仮に原告が国家公務員法七六条・三八条二号により失職したとしても、前記退職手当等の支払を求める権利がある。

二、請求原因に対する答弁

請求原因事実(一)項の1・2の事実は認める。3・4は争う。同(二)項は争う。同(三)項の1は認め、2・3は争う。

三、被告の主張

(一)  公務員は国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務するもので、その勤務関係は公法上の性格を持ち、公務員たる身分は、任命行為即ち相手方の同意を要件とする任命権者の一方的行政行為によつて成立し、公務員が任意に離職することは許されず、辞職願が提出されてもこれに対する任命権者の承認があつたのちはじめて退職となる。

したがつて公務員たる身分の消滅に私法規定の適用があるとする原告の請求原因(一)の主張はそれ自体失当である。

(二)  国家公務員等退職手当法に基づく一般の退職手当は、国家公務員等の個人負担なしに全額国庫負担で支給されるものであるうえ、その支給率も勤続年数に応じて増加する仕組がとられ、また自己の都合による退職の場合には支給率が低く定められていることなどを考慮すると、国家公務員等が円満に退職した場合にその勤続を報償する趣旨で支給されるものであり、原告主張の様に単純な後払賃金の性質のみを有するものではない。

そして国民全体の奉仕者であり、かつ国民全体に対し重責をになう地位にある国家公務員等が刑事罰を受けて当然失職した場合には、その職責の重大性にかんがみ、当該公務員の勤続に対する報償の評価が公務の公正および信用等を失墜せしめた行為のために過去に遡り全面的に減殺されて無に帰するというべきであり、同法八条一項二号はこの当然の理を規定したにすぎない。

また国家公務員としてふさわしくない非行をし懲戒免職または当然失職により退職する場合に、国家公務員等退職手当法に基づく退職手当の支給が制限されることは、公務員としてあらかじめ当然知り、または知りうるところであり、支給制限に該当する場合も同法によりあらかじめ客観的に定められていることからしても決して不合理な規定とはいえず、以上の点からすれば同法八条一項二号が憲法に違反するという原告の主張は理由がない。

四、被告の主張に対する原告の反論

ある法律関係が公法関係か私法関係かまた公法を適用すべきか私法を適用すべきかは、相対的な問題であつて、個別的具体的に考えるべきである。ところで上級公務員についてはともかく、下級公務員についてみるならば、その勤務関係は一定の労務の提供とそれに対する賃金の支払いという雇傭関係があるだけであり、この関係は実質上一般の民間企業の労働者の雇傭関係と全く異ならない。従つてその勤務関係からの離脱は私法の一般原則に基づいて認められるべきものであつて、公法上の特別の制限を受ける根拠はない。

また、もともと郵便事業はいわゆる権力行政の分野には属せず、単に政策的理由から国家が営んでいるものにすぎないし、郵政省が郵便の集配の一部を民間人との間に請負契約を結んで行なつていることからしても、郵便局の集配人であつた原告に対し公法上の理論を適用して離職の自由に制限を加える合理的理由は存在しないというべきである。

(証拠)省略

理由

一、原告が昭和三七年四月一日郵政省の職員となり、札幌中央郵便局に郵便集配人として勤務していたことおよび同四四年一月二五日原告が札幌中央郵便局長に対し辞職願を提出したことは当事者間に争いがない。

二、原告は、郵便集配人の勤務関係は実質上民間企業の労働者の雇傭関係と異ならないから、私法の原則に従つて勤務関係が終了するものであり、前記辞職願の提出によつて雇傭契約解約の意思表示をしたと主張するけれども、現行実定法は公務員の勤務関係を公法関係として構成しており、郵便集配人について特に例外を設けてはいない。原告の勤務関係が右のように公法関係であると解される以上、辞職の場合であつても、辞職の申出に対する任命権者の承認を俟つてはじめて退職の効果を生ずるのであり、辞職願は退職の処分に対する同意の効力を有するほかそれ自体独立に法的意義を有するものではない。そして、成立に争いのない乙第一号証によれば、原告が昭和四四年一月二五日に提出した辞職願は、その形式上もなんら通常の辞職願と異なるところはなく、その他本件の全証拠によるも、原告が右辞職願提出の際、通常の辞職願と異なり、特に雇傭契約解約の意思表示としての意味を含ませる旨念達したとか、右書面の提出の際同時に雇傭契約解約の意思表示をも口頭でしたことを認めるに足りないから、原告の私法上の雇傭契約解約の意思表示を前提とする請求はこれを認容することができない。

三、つぎに原告は、公務員たる身分関係は本人の同意を基礎として成立するものであるから、公務員が辞職の申出をした場合には公務員たる身分は当然に消滅すると解すべきであり、もしこれを認めないとすると憲法一八条、二一条、二二条、二八条ならびに労働基準法五条に違反すると主張する。

国家公務員法六一条は、「職員の休職、復職、退職及び免職は任命権者が、この法律及び人事院規則に従い、これを行う。」と規定し、人事院規則八―一二職員の任免七三条は、「任命権者は、職員から書面をもつて辞職の申出があつたときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。」と規定しており、右のように、職員から辞職の申出があつたときは特に支障がないかぎり承認するべきものとされている以上、辞職の申出によつて直ちに公務員たる身分が消滅しないことをもつて前記憲法および労働基準法の各法条に違反するとはいえない。

四、原告が昭和四三年九月二九日午後一〇時頃飲酒して自家用車を運転中、札幌市内で歩行者との接触事故を起こし、被害者をして同年一〇月一八日死亡するに至らしめ、同年一〇月三一日道路交通法違反・業務上過失致死罪により札幌地方裁判所に起訴され、翌四四年一月三〇日同裁判所において懲役一年の実刑判決を受け、右判決は同年二月一四日確定したこと、原告が右判決宣告に先だつ同年一月二五日札幌中央郵便局長に対し辞職願を提出したが、右判決確定の日まで辞職は承認されず、原告が国家公務員法七六条、三八条二号の規定により失職したことは当事者間に争いがない。

原告は、退職手当は賃金の後払いの性質を有し、退職理由の如何を問わず当然支払われるべきものであるから、右国家公務員法七六条の規定による失職者には退職手当を支給しないと規定している国家公務員等退職手当法八条一項二号は憲法一三条、一四条、二五条ならびに労働基準法三条に違反すると主張するので検討するに、国家公務員等退職手当法八条一項二号が退職手当の支給について刑事罰を受けたものを他と差別していることは明らかであるけれども、憲法一四条、労働基準法三条はいかなる差別をも禁止する趣旨ではなく、個人の尊重を宣明した憲法の理念に照らし社会通念上不合理と考えられる差別を禁止するものであるところ、公務員が禁錮以上の刑に処せられて当然失職した場合には、退職手当の支給を受けるに値しないと考えられ、退職手当の支給を受けられないという不利益を受けることもやむをえないと解されるから、前記国家公務員等退職手当法の規定が憲法一三条ないしは一四条、労働基準法三条に違反する旨の原告の主張は理由がない。また、憲法二五条は国家の国政上の任務を宣言した規定であり、直接に個々の国民に、国家に対する具体的現実的な権利を認めたものではないから、これに違反するとする原告の主張も採用できない。

五、よつて原告の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松原直幹 稲守孝夫 大津千明)

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